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<はじめに>
子供の頃の私は、かなり神経質な性格でした。

いきなり「縁起」の話になりますが、私の実家はそうでもなかったのですが、父方の祖父が縁起にこだわる性格で、例えば「夜の蜘蛛は縁起が悪いから殺してもいいが、朝の蜘蛛は縁起がいいから殺してはいかん(逆だったかな?)」とか教えてもらった記憶があります。

「縁起がいい」とか「縁起が悪い」とか、聞いたことがなかったのですが、そういう概念がある、ということに驚いたものでした。

それ以来、近所の道を歩いていても、前を歩く人がいたら「あの人が次の角で曲がったら縁起がいい」とか自分で決めて、一喜一憂しながら歩いたものです。

しかしこれは、前の人をずっと気にしながら歩くのでかなり疲れるのですが、それはそれでやめられないという変な性格です。

また、人が触ったドアノブは気になって触れないとか、人が飲んだ「コップに入った飲み物」をそのまま私も飲む、ということもできませんでした。

でも、「ほかの人が普通にできるのに、気持ちの問題で私にはできない」ということが自分の中で我慢できなくなりました。

なので、ある時から「気にしない練習」を自分で始めました。

そうしたら、日常がどれほど楽になったことでしょう。

「気にしなくていいことを、自分が気にしていたこと」が、どれほど「要らないこと」だったかに気付いたのです。

もし、「気にしない練習」を始めなかったら、ずっと心の病を抱えながら人生を過ごしたかもしれません。

「縁起がいい」「縁起が悪い」ということも気にならなくなりました。

この変化は、幼稚園か、小学校1年生の頃だったと思います。

今思えば、「些細なことを過敏に気にする性格に、鈍感というか無頓着の色を追加して、性格の軌道修正ができた」ということが、その後の人生に大きな影響を与えたのであろう、と自己分析しています(この辺りにまだ神経質の香りが残ってますね)。


<つなぎ>

そんな私がいつの間にか還暦を過ぎて、現在考えている「どーでもいい生き方」を紹介したいと思います。
「どーでもいい生き方」というのは、即ち「ほどほどに、てきとーに、ゆるく生きるための考え方」なのですが、格好のいい言葉で言い換えると、現在の私の「座右の銘」を具象化したものです。

尚、調べたら「ゆるく生きる」という書籍が販売されているようなので(読んでませんが)、サブタイトルに「ほどほどに、てきとーに」を追加してみました。何か文句がある方は一歩前へ。

というわけで、どーでもいい生き方に少しでもご興味のある方は、暇な時にでも読んでみて下さい。
間違っても「石島のやつ、また偉そうに」と思う方は読まないこと。

一応、1~10まで番号を振っていますが、「重要な順」ではありません。
かと言って「重要でない順」でもありません。悪しからず。


<本編>


1.無理をしない

無理ができるうちは、ある程度の無理をすることは可能でしょうし、それは後に経験となって残ることと思います。
しかし、無理をすることが「心や体の負担になる」と感じるようになってきたら、必要のない無理は、しないに越したことはありません。

無理ができるうちでも、限界を超えて無理をすると、きっといいことは何もないと思うので、限界は超えないようにしましょう。

故ジャイアント馬場さんがプロレス界に入った時の言葉を紹介します。
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野球では「へとへとになるまで練習する」ということが普通だったが、プロレスでは「へとへとになってからが練習だ」というのが普通になった。
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ちなみに馬場さんは、プロレスラーになる前はジャイアンツのピッチャーでした。
へとへとになってからの練習を「こりゃ無理だわ」と思ったかどうかわかりませんが、これから一流のプロレスラーになろうと思っている人以外は、ほどほどに頑張りましょう。

などと好き勝手なことを書いていますが、これまで自分がそんな無理をしたことが無いので、きっとそうだろうなと思っている次第でございます。
このエッセイは、私が思っていることを書いているだけで、そのほとんどは真実ではありません。そこのところ、何卒ご理解を宜しくお願いします。



2.興味のあることだけ、頑張れるときは頑張ってみる

興味のないことを頑張ると、当然ですが自分の中でストレスが蓄積します。
生活のため、給料のため、といった「やむを得ない事情」もあると思いますが、そこで頑張るのはほどほどにして、それとは別に、自分の興味があることに力を注ぐことによって、溜まったストレスを発散することが、精神衛生上好ましいサイクルです。

ただし「過ぎたるは猶及ばざるが如し」であり、興味があっても頑張りすぎないことが大切でしょう。
自分が感じるストレスが「健全なストレス」というレベルであり、それをコントロールできることが理想です。



3.人の噂や評判は気にしない

これを気にすることほど無駄なことはありません。
気にしても自分は何も変わらないし、気にすることが自分にとってプラスになるということは絶対にありません。
健全ではないストレスが溜まるだけです。

敢えて補足するならば、いい評判だけ聞き流せば十分だし、それもすぐ忘れてしまうことをお勧めします。



4.損得はなるべく考えない

「自分がこうすると、自分は得する」「自分が損するので、それはやらない」という考え方は、いかがなものでしょう。
それを気にして生きることは、果たして楽しいのでしょうか。

「情けは人の為ならず」という言葉も、私はあまり好きではありません。
将来自分に返ってくるかもしれないから、ここで情けを掛けておくと得かもしれない、という考え方ではないことは分かっているのですが、自分の損得などは考えずに情けは掛けたほうがいいと思います。

即ち、相手が望むこと、喜ぶことに対しては、自分が負担に感じない程度に協力しましょう。
この場合も大切なのは、決して見返りなどは期待しないことですね。

「情けは掛け捨て」←私が思いついた言葉ですが、調べてみると他にも似たような言葉が既に世の中に出回っているようです。どーでもいいですけれど。



5.ギャンブルには手を出さない

以前、同じ町内で、家ぐるみでパチンコにはまって、子供を連れて夜逃げした家族を知っています。
パチンコでさえその可能性があるのは事実だし、ましてや他のギャンブルでも「身上(しんしょう)を潰した話」はあれど「成功した話」は聞いたことがありません。何故ならばギャンブルは商売として「胴元が儲かる」仕組みになっているからです。

私は一切のギャンブルをしないので(せいぜいチェロの演奏で、音が飛ぶときに「当たるか外れるか」のギャンブルが避けられない程度です)、その楽しさがわからないのですが、偶然に左右されてのラッキーとアンラッキーが楽しいのでしょうね。
正確に言うと、「アンラッキーはできれば避けたいが、たまに起こるラッキーが何よりも嬉しい」。そこにお金が掛かっているから余計に。でもそれは、ゆるく生きる手助けにはなりません。

偶然に頼らず、自分の努力で得られる楽しさは望まないのだろうか、と不思議に思う次第です。

ちなみに、ギャンブルではありませんが、同じように悪者扱いされるものに薬物があります。
薬物はお金が掛かるだけでなく、心身への影響があるので、ギャンブルよりたちが悪そうです。
私が手を出している薬物は、百薬の長と言われるアルコールだけです。大量に摂取することもありますが、自分ではほどほどだと思っています。



6.友人は無理に増やさない

無理でなければ、また負担と感じなければ、友人は何人いてもいいと思います。
ただ、友人が多いことを自慢したくなったり、自分の人徳だと感じたり、誇りに思うようであれば、その感情は要注意レベルではないでしょうか。
もし、これが進んで「もっと増やさねば」と思うようになったら、強迫観念と言えるかもしれません。まあ、そこまでの人は滅多にいないと思いますが、何故増やそうとするのか、増やさないといけないのか、一度立ち止まって自問自答してみる必要があるかもしれません。

無理をしていなければ、今のままで十分です。



7.忘れることができることは、忘れる

私のような、忘れてはいけないことも忘れてしまう、という論外の場合はさておき、自分が「一生忘れたくない」という「いい思い出」は別ですが、「思い出したくないこと」はもちろん、「どうでもいいこと」は忘れてしまうに越したことはありません。

まあ、覚えておける量は限られているので、どうでもいいことは自然に忘れてしまうように脳みそは作られているから、これもあまり気にする必要はないのでしょうけれど。

あまり関係がありませんが、誰もが経験していて、「そうそう」と思うことに、「思い出したくても思い出せない」ということがあります。
人の名前、地名、単語、少し前に食べた食事、今話していた内容、、、
その時は、思い出せない自分が悔しいかもしれませんが、自分以外は誰も悔しいと思っていませんし、他人はその姿を見て面白がる程度なので、思い出せないことはどーでもいいことなのでしょう。



8.揉め事になった時は、誠心誠意、対応する

揉め事が好きな人は、ごく稀な一部の人(※)を除いていないと思いますが、どちらに非があるかは問題ではありません(どちらにも非がなくても揉め事になることはあります)。

もし揉め事に巻き込まれてしまったら、まず、相手の言い分を可能な限り理解しようとしてみましょう。
その上で、どのような対応がお互いに取ってベストなのか考えます。もちろん思いつかない時もありますけれど。
その流れにおいては、根底に誠意が必要で、その上で「こうしたらどうでしょう」と提案することができれば理想的です。

それでも歩み寄りができないこともありますが、決して「相手を論破すること」が正しいことではありません。

ちなみに、有り余るほどの資産をお持ちの方は、面倒な対応はせずにお金で解決する、という手もあります。
私も一度はその手を使ってみたいと思っています。一生できないでしょうけれど。

※私の知っている人で一人だけ、自分に非が無い揉め事に遭遇するのが大好きな人がいて、とことん相手を責めるのが楽しいらしいのですが、私にはその気持ちが全く理解できません。あの人はまだ生きているのかなぁ。。。



9.世の中の情報に振り回されない

今は情報を入手しようと思えば、いくらでもその手段があります。
もちろん正しい情報もありますが、中には正反対の情報もあります(意図的に間違った情報を流す場合もあります)。

情報は、どうしても必要な情報以外は、無ければ無いで事足りることがほとんどです。

「知らないこと」の心地よさは、「気づかないこと」に似ていて、「知ることができた喜び」や「気づけた喜び」とは裏返しの、「知ってしまった後悔」「気づいてしまった後悔」とは縁の無い世界です。

おそらく、暇つぶしに(?)情報を探し回るのが趣味な人は別として、必要最小限の情報の中で過ごすことは、思いのほか快適だと思います。

どーでもいい生き方には「知らぬが仏」という姿勢が理想的です。



10.恩を感じた時は、、、

恩という言葉が適切かどうかわかりませんが、ある人に助けてもらったとか、嬉しかったとか、そういう時は、その場で感謝の気持ちを伝えることが大切です。

そして、そのことをなるべく覚えておくことをお勧めしますが、他の例に漏れず、いつの間にか忘却の彼方かもしれません。
でも、それでいいのだと思います。

誰もが思っていることでしょうけれど、恩を受けた人に恩を返すことは難しいですし、返そうとしても返せないことがほとんどでしょう。
もし、受けた恩を、受けた人に返せたら、それは奇跡です。人生でこれ以上の偶然は起こらないに違いありません。

「親の恩は子に返せ」と言われますが、子供に半分も返せれば、十分どころか賞賛に値することでしょう。
ここでも繰り返しになりますが、できなくても、誰も困りません。自分を責める必要もありません。

世の中、どーでもいいことばかりですね。
きっとそれでいいのでしょう。


<あとがき>

こんな、私のどーでもいい座右の銘など、果たして誰かの役に立つのか、また読んだ人は時間の無駄だったのか、それはわかりません。
所々、「そーだよなー」と同意する部分があったかもしれませんが、それこそ、どーでもいいことに違いありません。

間違いなく言えることは、感涙にむせびながら読んだ人は一人もいないことでしょう。自明の理でございます。

私はたまにくだらない文章を書きたくなることがあるのですが、最近は滅多にありません。
今回も何故このエッセイを書こうと思ったのか、全く思い出せないのはきっと「後天性 年齢過多症候群」と「アルコール ほとんど依存症」のせいに違いありません。

皆さんも、くれぐれも呑み過ぎに気を付けましょう。

「お前に言われたくない」って言わないこと。

最後まで目を通して頂いた、そこのあなた。
相当の変わり者ですね。

ありがとうございました。


 ー 完 ー

2026年8月吉日 石島栄一


 

Writing07

「ゆるく生きる ~ ほどほどに、てきとーに ~」 

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